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【記事公開日】2017/05/25【最終更新日】2018/03/17

今の僕ができるまで。

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おk_Fotor

どうも!夫婦でカフェをやるために試行錯誤しているトウユウジ(@ugto310)です。

本来なら、ブログスタートと同時に書くようなことかもしれないんですが、このタイミングでプロフィールというか、自分語りをします。

ふと「自分ができること」と「自分が知ってること」についていろいろ考えてみたら、思ったより沢山あることに気づきました。

というわけで、今回は僕がどういう人物かも含めてお話しようかと思います。

 

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自分は何ができて何を知っているのか

しっかりとした自己紹介もしていないので、少し詳しく自分のことについて書きます。

改めて考えると、あれこれ手を出していて、ほとんど今でも続いているので面白いです。

小学〜中学時代

小学生のころから中学まで完全に人見知りの暗い人でした。仲のいい人とはめっちゃ話すけど、それ以外は無口みたいな感じ。

中学校はまったく馴染めず、周りの人がみんな敵のように感じて休んでばかり。笑い声が聞こえれば自分のことじゃないかと思ったり、なにより自分から発言するなんてできません。

今でさえ被害妄想だと思うけど、当時はそんな余裕もないぐらいに暗い性格でした。学校にも行かずに漫画読んで絵を描いたり、小説を読み漁ったりしてました。先生ごめんなさい。

吹奏楽部のパーカッションでした。

部活は吹奏楽部ではパーカッション(打楽器)をやってました。太鼓とか木琴とか全般ですね。

譜面も読めないし、学校自体に行っていなかったので、他パートの数人から「聞こえる陰口」を言われてました。

完璧に自分に否があるので言い訳せず、気持ちも弱くなっていたんですが、同じパートの同級生に助けてもらいながらめちゃくちゃ練習しました。先生に褒められるぐらいには上達したので、パートのメンバーには頭が上がりません。

何もしたくないし死んでもいいやとさえ思ってたけど、中学の後半からは「死ぬのもバカらしいな」と思い少し前向きになりました。部活だけ参加したり。

中二病(今は言わないか?)全開で黒歴史です。恥ずかしくて布団に潜り込みたい!!

 

高校時代

絵を描くのが好きだったので、高校はデザイン科へ行かせてもらいました。

学校終わりに画材屋に行ったり、買い物したりご飯食べにいったりと満喫した高校時代。

同級生の絵の上手さに尻込みしつつ、課題もなかなか進まない学生時代。自分の好きなものを描くのは楽しいけど、課題としての絵に楽しさを見いだせず「描きたいのだけ描きたい!」と思ってました。この頃しっかり練習して学んでおけばカッチョいい絵を描けるようになっていたことでしょう。ドンマイ自分。

でも、高校でデザインを学んだお陰で少しは絵も上手くなったし、楽しく過ごせました。友達に誘われた流れで体育祭の応援団をやったりと、いい経験をしました。

学校帰りに、画材屋に行ったり、買い食いしたりと楽しかった遠い思い出。

音楽というか、アーティストに興味を持ったのもこの時期で、流行っていたアカペラを始めて、ボイパ(口でドラムの音出すやつ)をやってました。ドンツクピシー!

画材買ったり好きなこともしたかったので、たこ焼き屋、うどん屋さんでバイトをしてました。

たこ焼きの焼き方とか、接客、お米を炊くときの注意点など学びながらも人見知り全開でした。

たこ焼き器欲しい。

就職〜退職。

高校時代に1社だけ受けて採用だったため、そのまま入社し、名古屋と京都へ。某リフォーム会社に入社したんだけど、当時リフォーム詐欺が大流行。例にもれず影響をダイレクトに受けて、訪問宅にてあびせられる冷ややかな対応が凄かった。

そんななかでも、応援してくださるお客様もいらっしゃって、新入社員中1番に契約が決まりました。今もそのお客様のことを覚えていますが、最高に嬉しかった。

しかし、日に日に精神が消耗していき、ガラスのハートなぼくは耐えれず半年ほどで退社。

床下には大きな蜘蛛が居て、歩伏前進状態では勝ち目がないことに気付かされました。いい経験だった。

焼肉店でアルバイト

人見知りを気にしすぎるのも面倒だったので、居酒屋的なノリのあるお店でアルバイト。

なぜか「1年でマネージャーにする」ということで、チーフから鬼のように仕事を教えていただきました。

特に予定もなかったので昼から深夜までガッツリ働いて、帰宅後遊んで仮眠して、また仕事に向かうということを半年ほど続けていたらぶっ倒れました(笑)

過労で肝臓に負担がかかってるみたいな内容で、ざっくり説明すると、白血球の中(?)の数値が通常の8倍になってやばいよって感じだったと思います。

1ヶ月間体が動かずに休んでしまいましたが、この経験のお陰で、自分のキャパというか限界のラインがわかってよかったです。

まさかの閉店

体調も戻って、仕事に復帰した3ヶ月後。店長が飛びました。

話が突然過ぎて意味がわからないと思いますが、ぼくもまったく意味がわかりませんでした。

残った従業員で話し合い、ひとまず店を閉店。店長に連絡するも繋がらず、どうも給料などすべて持って飛んだことが発覚。

アホだったぼくは、この危機的状況になぜかワクワクしていたのですが、給料をもらえないと知った時点で放心状態。

この後2ヶ月にわたり、経営に関わっている事務所特定、会長的な人も特定し、店に呼び出し成功。

夕方から深夜まで、謝罪と給料、その他余った食材などについての話し合いが行われました。話し合い中のドロドロさといったらそれはもうドラマみたいでした。

食材に関しては後日スタッフで山分けし、美味しくいただきました。焼肉屋の肉は家で食べてもうまい。

この経験もなかなかハードでしたが、いい経験だったなぁと今では思います。まかない飯のチャーハンは今まで食べた中で1番のうまさでした。

ケータイHPを作る

妹が見ていた雑誌の特集で、「ケータイHP紹介!」みたいな記事がありまして、興味本位で魔法のiランドというサイトでケータイHPを作成しました。

特に書きたいこともなかったのですが、単純に「面白そう!」という理由で始めたんですが、何を思ったか歌詞とブログをコンテンツに運営開始

キリ番なんていう懐かしのものも相まって、今では立派な黒歴史です。

スーパーの青果コーナーでアルバイト。

焼肉屋がつぶれてすぐ、実家の近所にあるスーパーの青果コーナーで働き始めました。2年ほど勤務。

焼肉屋と比べて、従業員の年齢層も高めだったため、揉め事もなく平和でした。

ただぼくがクズすぎまして、接客は言葉遣いひどく、仕事に対して文句ばかり行っておりました。今考えると、本当にチーフ、サブチーフには迷惑をかけてばかりで、申し訳ない気持ちでいっぱいです、

今の自分が逆の立場だったら「やることやってから言いなさい」と呼び出して注意するレベルです。穴があったら入りたい。

アカペラバンドを始める。

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ケータイHPを作った頃、音声データ・動画を投稿できるレンタル掲示板にボイパの音源を定期的に投稿してました。(当時は画期的だった)

その繋がりで、同じ福岡のアーティストさんや、アカペラに興味がある方々とHPを通じて繋がりができ、その流れでアカペラバンドを結成。

周りは年上ばかりで、役職持ちの方とか他県の方とか様々で、いろいろ学ばせていただきました。大人の階段登らせていただいたかもしれない。

ストリートライブや、ライブバーで歌ったりと楽しい活動でした。

自己中心的すぎる当時

高校のときの同級生もメンバーに居たんですが、他アカペラ経験者の方と始めて会う予定日に来れないという理由だけで、強制脱退させるようなことをしてしまいました。

この判断というか、やり方は今の自分は最低だと思っていて、もっと話し合うとかするべきだったと反省してます。流石に猪突猛進すぎるというか、人の気持を考えてなさすぎます。

このことがあってから、自分の意見だったりを伝えすぎるのは危ないと認識するようになり、数年間塞ぎ気味に。

正直書くか迷いましたが、これもぼくを構成する重要な出来事です。

居酒屋でアルバイト。

相変わらず人見知りで、初対面の人には引きっぱなしでしたが、居酒屋で働き始めました。5年ぐらい続けたかな?

ホール希望だったのですが、声も出せないし、先輩方ともうまく話せないしで、「なんであいつはホール希望なんだ」と周りから言われてました。

本当に内気で、注意されてもテンパって返せないという悪循環でしたが、先輩方の助けもあり、少しずつ声をはって話せるようになっていきます。

大学生が多い職場たったので、まさかの1年後にホールリーダーなるものに強制アップデート。

シフトを組んだり、他スタッフに教えたり、対応を指示したりと自分のキャパを超えてました。

相手の立場になって考えることが大切。

また完全に自分のことしか見えてなく、シフト組む際に「このメンバーじゃキツイな」とか「こいつじゃ無理だ」とか何様な思考回路がダダ漏れ。

いろいろと悩んでいるぼくを見かねて、先輩方はご飯に連れて行ってくれたり、相談に乗ってくれたりと助けてくれました。

本当に、この頃の出来事が今の自分の思考の中枢になっていると思います。本当の意味で、自分だけの目線ではなく、相手の立場になって考えることができるようになったのもこの頃から。

この考え方の失敗と、それをしっかりと教えてくれる先輩が居なければ、今のぼくは人としてダメになっていると思います。

本当に感謝しかありません。

みんなが助けてくれるように。

この出来事をきっかけに、ホールスタッフ、厨房スタッフへの対応を改めました。

一緒に成長していきたいと思う気持ちが強くなると、みんな快く協力してくれたんです。もちろん嫌なことも言うときもあったけど、受ける側もこちらの気持ちを感じてくれるようになったんです。

「嫌なことを言わせてしまってすみません」とか、そんな言葉を返してくれたスタッフの心の広さに気付かされることも。

教える立場になるとき、人と付き合うときにはこの気持を忘れないようにしようと思いました。いい人ばっかり!

カフェでアルバイト

そんないい感じの流れかと思いきや、相変わらず人見知り全開で1からスタート。

シフト面で迷惑をかけたり、体調が不安定すぎて迷惑をかけたりと、迷惑かけっぱなしでした。

バンド加入

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ギターも触ったことのない状態で、バンドに加入。コーラスができるのと、ボーカルが地元の腐れ縁という感じ。

師匠にギターを習ってはいましたが、ギター初めて3ヶ月で初ライブはエグかったです(笑)

指は動かないし、リードギターって何すればいいかわからないしで、てんやわんやだった記憶があります。必死に練習しすぎて、加入後2年ぐらいの記憶がまったくありません!

最初2年間は、楽しむというより必死で、「弾けるようにならなきゃ」っていうのが強かったです。基礎練と曲のフレーズアレンジをするので手一杯で、コピーとかまったくできていませんでした。

やっぱりそんな状態で楽しむ余裕もなく、3年目ぐらいから楽しくできるようになりました。ギターも「なんとなくこの音使えそう」みたいな。知識面は少しずつ勉強する感じです。

イベント主催や、ワンマンライブ、MV撮影など、通常じゃできないような経験ができたことはいい経験になりました。

グループというか、4人いて良いこともあれば大変なこともあるんだと、改めて実感しました。協力し合うというのは案外楽しいものなんだなと知ったのもバンドのおかげです。

バンド脱退

2017年7月29日を最後にバンドを脱退しました。自分の未熟な部分があって、上手く自分を持ち上げることができなかったんです。

脱退を決めるときに、4kgぐらい体重が落ちて、毎日寝れずにいろいろなことを考えました。きつかったけど、これがなかったら今の自分は無いと思います。

ラストライブのときにMCで時間をもらったんだけど、正直内容なにも考えてなかったんです。「人ってけっこう変われるものだよ」ってのを、しどろもどろで伝えたのは覚えています。

人前で、みんなの顔見ながら弾けるようになるなんて思ってなかったからね。誠実に向き合って続けていけば、なんとかなるものです。

現在の僕。

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で、今に至る。というわけですが、8月に今のカメラを始めて、11月にはこのブログを始めました。

まさか無知の状態からブログ立ち上げるなんて思ってなかったし、スマホケース作るなんて思ってなかったし、ましてや、自分で企画してみるなんて考えてませんでした。

ものづくり、何かを作ることに関しては好きだったけど、全部ノリで始めたものばかりです。

ブログも、「結局ただの日記になって更新しなくなるんだろうなぁ」と思ってたけど、意外と続けられてるので面白い。

「初期投資!初期投資!」っていう、今考えるとどうかと思う理由でしたが、ちょっと無理して、カメラとMacBook買ってよかったなと思います。

これから

今はいろいろとやってみて、自分に何ができるのかの確認作業というか、再確認というか。

DTMで曲を作ってみるのも面白いだろうし、アカペラ音源作るのも楽しそう。

絵本を作ったり、自分が作ってる料理のレシピも書こうと思ってます。「早炊きが終わるまでに作れる簡単レシピ」とかね。家の炊飯器は早炊きで40分。その間にいかに手を抜きつつ2,3品作るかみたいな。

あとは、せっかくブログを書いているので、HP作成も勉強中で、テンプレートとか作れたら良いかなと思ってます。

ネットショップもあるので、告知のやり方とかも学びたいなと思ってます。さぁ楽しみいっぱい。

まとめ

ざざっと書いてみました「今の僕ができるまで」。こんな人生を歩んできました。自分のなかではとくに普通かなぁとも思いましたが、どうでしょうかね。

少しでも僕のことをあなたに知ってもらえたら幸いです。これからもよろしくお願いします。

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